正気と狂気の境界はどこなのか、と考えたことはないだろうか。
実際にはそのようなものなど無く、正気も狂気もひと続きの地平に存在するのだろう。
たったいま口に運んでいる、アンジェリカとカモミールのブレンドティを、アンジェリカティとカモミールティに分かつことができないように、人間とは悉く正気と狂気を内包しているに違いないのだと思惟する。
かつてこの町で、絶対多数の人々を震撼させ、ごく特定少数の人々を熱狂させた、殺人者の狂気。
わたしには理解できてしまう。ひとひらかもしれないが。
わたしは共感してしまう。微塵ほどかもしれないが。
そして理解が深まれば深まるほど、共感が強ければ強いほど、かの殺人者もわたしと同じく、ただの人間でしかあり得ないという結論にいたる。
しかし、彼が為し得たあらゆる事象が、彼をただの人間ではない特別な人間たらしめているのも事実であった。
とかく注目されるその異常性だけではなく、知性、感性に至るまで常人のそれを彼は大きく上回っていた。
その能力に目をつけたものは多く、彼らはときに倫理を、ときに理性を、ときには法規さえも飛び越えて、かの殺人者を研究し、また利用した。
その中でもわたしが個人的に興味を惹かれたものがある。
それは、わたしの忌み嫌うあの似非知的遊戯だ。
彼はそれによって、まさに境界を越えたのだ。
管理人 H